内臓流出

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男性器発言と女性器発言について

 一般に、男性器についてより女性器についての方がはるかに語りにくい。

 例えば「ペニス!」と日常的に発言する人はいても、「ヴァッギーナ!」と発言する人はほとんどいない。男性のマスターベーションの方法についてはおおっぴらに語られるが、女性のそれについて語られることは非常に少ない。なぜか。

 これは性器をアピールすることにメリットが存在するか否かの違いではないだろうか。

 

 人々の多くは子孫を残したい、または残すべきであるという信念を持っている。なぜこの信念を持っている人が多いのかはわからないが、単純にそのような信念を持つ人は子を残していき、そうでなかった人は子を残さなかったためであろう。ともかく、人々は子孫を増やしていくための行動を行おうとする。

 男性の場合、子を増やすために多くのセックスを行おうとする。男性は子を体内に宿す必要がなく、子ができた時のリスクが少ないからだ。今でこそ男性は子の発育に責任を持たねばならないために大きなリスクを負っているといえるが、昔はそのリスクは少なかった。動物であった時代から続くその習慣は、今も男性の遺伝子に刻まれている。

 女性の場合、子ができた時のリスクが大きい。子を体内に宿している間、もしくは産後の不安定な状況においては、行動は大きく制限される。そして出産には激しい痛みと死のリスクがある。行動が制限されている間、頼ることができるのは基本的に親か伴侶である。動物の時代や医学が十分に発達していなかった時代、親はそれほど長い寿命を持たなかったから、女性は援護が必要なときは伴侶に頼っていた。要は女性は伴侶を慎重に選ばなければならない。

 

 男性器の素晴らしさをアピールすること、これは自身の生殖能力の高さを誇示するものである。社会的に男性器の広報が認められていることは、生殖能力を競う場が設けられているということであり、メリットがある。そのため、男性器についての発言はおおっぴらに認められている。

 女性は伴侶を慎重に見極めなくてはならない。伴侶にするに足る人物を見つけ、それを獲得する行動を起こすまでは、無節操に女性性をアピールすることは控えなくてはならない。女性器はまさに性そのものであるから、女性器は普段は隠されている必要がある。よって女性器についての発言はひそやかに行わなくてはならない。

 

 つまり男性器発言と女性器発言の言いにくさの違いは、男性が男性であること、女性が女性であることに起因するものである。社会的な女性の抑圧などによるものではないから、後ろめたさを感じる必要はない。そして男性器の広報にはメリットがある。さあ叫ぼう。ペニス!!!